お知らせ

犬達と暮らした25年

昭和61年 コタロー来る

子供たちが犬が欲しいというので、情操教育にもなると考え、同団地内の紀州犬を飼っている人にその旨話をすると、親戚に紀州犬とスピッツの合いの子がいるというので、それを貰ってきた。

コタロー♂という名は娘が命名したように思う。「走れコータロー」という歌が流行っていた頃だったかな。

昭和62年

犬の成長は早く、コタローは多分、うちの子供たちより上だと思っていたようで、特に4歳の息子は弟のように思っていたと思われる。

昭和63年

小三の娘と幼稚園の息子が、当初は毎日取り合いをしながら散歩に行ってくれていたが、いつしか私と家内の日課になった。

平成元年

家族同然で育てた。

ごはんも同じものを与えていた。カレーライスも喜んで食べていたが、人づてに玉ねぎは食べさせてはいけないと聞き、それからはドッグフードに切り替えたことを覚えている。

平成2年

我が家の周辺を白い捨て犬が徘徊するようになり、息子が「可哀そうだから飼いたい」と聞かないので、それにほだされて飼うことになった。

ファル♂という名は、確か映画にでていたファルコンという空を飛ぶ動物に雰囲気が似ていたので、私がファルと命名した。

平成3年

家の周囲で放し飼いにしていたので、いつも二匹で遊びまわっておりました。

ファルは血の気が多いせいか、コタローをやり込めることが多く、お前は捨て犬だったのだから、もう少し控えめにしなさいとたしなめるのですがナカナカ言うことを聞きません。

ある時、団地内の紀州犬に向かっていき、あっという間に口を噛まれてしまい、動物病院で縫合して貰う羽目となり、金のかかる犬でもありました。

平成4年

団地の東南にある小山で山火事があり、春になると一面黒くなった山肌から、山菜が生えてくるので、家族で山菜取りによく行きました。

この時、犬も一緒に連れて行き、山に放つと、私たちが帰るまで野山を駆け巡っておりました。

この時、ファルは一定の時間ごとに私たちの前に姿を現すのですが、コタローは全くどこに行ってるか分かりません。帰るときにコタローと呼ぶと、暫くしてどこからか姿を現しますが、その後ろにはファルが付いています。

最初から飼われたコタローと捨て犬だったファルとの間には歴然とした差があるように思いました。

平成5年

昨年のことです。私が帰宅する頃、雌犬をよく見かけるようになり、家族に聞くと「どうも捨て犬らしい」というので、「うちはもうあかんなあ」と家族一同の暗黙の合意ができていたのですが、ある日帰宅時、今日は見かけないなあとドアを開けたら、3匹になっておりました。

鼻が黒く賢そうな犬だということで、家内と娘が招き入れたようで、「2匹も3匹も一緒や」といことになりました。

近所の方々の後日談ですが、我が家が雌犬を飼うのは時間の問題だと喝破されていたようです。

メリー♀という名は家内が付けたようで、丸々と太っており、メリーさんの羊から来たようです。

年齢推定は家内の見立てによるもので、お尻の穴の大きさで分かるようです?

平成6年

メリーはどこかで飼われていたらしく、コタローと似た落ち着きがあり、しかも去勢手術を受けていたので、オスの発情に悩まされることはありませんでした。

平成7年

いつも3匹で、概ね平和に暮らしておりました。

家族で旅行に行くときは、近所に住む家内の姉宅に預けるのですが、メリーはそこを脱走して我が家に戻っていたらしい。

さてこの年に重大事件が起こります。

家内と和歌山市内で買物をしていた時のことです。ラブラドール犬が繁華街を徘徊しており、私達が後をつけると、百貨店に入って行った犬が警備員に取り押さえられていたので、住所氏名を記したメモを渡して、私達が連れ帰ることにしました。

翌日、和歌山の保健所に電話すると、1週間経っても持ち主が現れなければ自由にして下さいとのこと。

今の3匹は中型犬。大型犬に憧れていた家内はもう飼う気満々。4人目の仲間(ラブ♀)が加わりました。

平成8年

平成9年の年賀状は喪中の為出していない。

この年4月に父が他界。

4匹は仲良く暮らしていましたが、ラブがメンスを迎えると、コタローとファルが発情してしまい、収拾がつかない状態となるので、ラブの去勢手術についてどうしたものかと思案しておりました。

この当時、米大統領がこげ茶のラブラドール犬を飼っていたことから、黒のラブラドール犬が流行しておりました。

平成9年

ラブの去勢について、私達が出した結論は、ラブにも母親になる権利があるのでは、当時流行していた黒のラブラドール犬と交配させようということになり、交配させたたところ、8匹の子宝に恵まれました。

白を先頭に黒が7匹。一晩かかって、家内と娘が取り上げたようです。

最初の白は娘が絶対離さないと宣言。黒犬が産まれたら下さいと言われていた人たちに次々と貰われていき、2匹の黒が残っていた。家内と息子のお気に入りだ。

約束していた弟が黒犬を貰い受けに来たとき、どちらを差し出すか。家内も息子も譲らない。

弟に一任することで同意し、弟が選んだのは家内の黒。息子は喜色満面、家内の目には涙。

息子を別室に呼んで必死に説得。漸く納得させて、弟に詫びを入れて、息子の黒が引き取られて行った。見送る息子の頬を伝う涙。

涙、涙の一日でありました。

かくして、白と黒の二匹が加わり、計6頭との生活が始まりました。

平成10年

メリーは子犬が好きなようで、ウィーリーとナナの遊び相手でした。

思いもよらず6匹と暮らす日々が始まりました。

家で生まれた白(ウィーリー)と黒(ナナ)は私達を親と思い込んでおり、夜は同じ布団で寝ておりました。

犬の成長は早く、ほぼ2年で成犬となりますが頭の中は私たちの子供のままで、30kg近い成犬が布団に入ってくると、もう無茶苦茶。安眠できるまで相当の年月がかかりました。

平成11年

6匹の散歩は大変です。

下の始末をする道具を右手に持ち、6匹のリードを左手に持って暫く歩くと、6本のリードが組紐のように絡まって犬の自由が利きません。絡まったリードを解しながら少しづつ少しづつ前進。全員排便するまで我慢我慢の散歩でした。

よその犬と対峙したときに気を抜くと、一頭が駈け出したらもう止まりません。数メートル引きずられて大けがをしたこともありました。

犬小屋も6匹が入れるように、足場丸太を調達してきてログハウスを作ってやりました。

ラブラドールは海が大好き。親子で棒切れの争奪戦をやります。みんな嬉しそう。

平成12年

近所迷惑になるので、夜は玄関に入れて寝かせます。

犬にも体調の悪いときがあるんでしょう。おねしょをするんです。それも廊下の一部にです。

朝、2階から降りてくると、廊下に水たまりが出来ている。全員こちらを見ているので、「誰だっ!」と言うと、1匹だけ顔を逸らせます。人間よりよほど正直です。家内は絶対怒りません。そうかそうか我慢できんかったんやなあ。

ウィーリーはお手伝いが大好きで、ゴミ出しは彼の担当です。生ごみの袋を口に銜えてゴミ捨て場まで得意満面で運んでくれます。近所の人から褒められると本当に嬉しそうに帰ってきます。

平成13年

コタローは14歳となり、かなり老化現象が出てきました。人間で言うともう80歳くらいでしょうか。

しかしコタローがどんな犬でも受け入れてくれたお陰で6匹もの大家族が出来たと思います。

飼いだしてから14年になりますが、犬同士の喧嘩は一度もありません。家内が全部平等に面倒を見てやっていたことが大きいのだろうと思います。

平成14年

この年から、子供たちも通勤や通学の為、家を出て暮らし始め、私も仕事の都合で単身赴任のため、家内は6頭の犬達と暮らすことになった。

かなり弱ってきていたコタローが他界した。休日で帰宅していた私は、一晩中、コタローの口の周りを浸してやっていたが、家内によるとそれが三日三晩続き息を引き取ったらしい。

ナナは何か加えてないと安心できないらしい。サッカーボールもこのありさま。

平成15年

写真は5頭と暮らす家内。

膝に載せているのは親戚の預かり犬。ロンというミニダックスですが、躾が悪いので人を見ると吠えてばかり。

平成16年

平成17年

平成18年

岳父他界のため喪中はがき。

ファルが9月に死んだ。うちに拾われてきたのが、平成2年だから、16年うちで過ごしたことになる。捨て犬としての分をわきまえながら18歳まで生きたのは天晴。

平成19年

平成20年

平成21年

この年、ラブとメリーが天国に行った。

メリーの末期は、体の一部にウジ虫が湧いていて、家内は箸でそれを取り除いてやったらしい。

死臭が漂ってくると、ハエは卵を産み付けると聞くが、メリーがその目にあったようだ。

平成22年

門の脇から道行く人を眺める兄妹。

平成23年

平成24年

5月にナナとウィーリーが天国に召された。

ナナは最後まで痛かったんだろう。か細い声で痛みを訴えるので、丁度帰省していた息子も交えて、家族3人で代わる代わる看病していたが、余りにも痛そうなので、病院で眠り薬(安楽死)を処方して貰った。

ウィーリーは、近所の犬好きのおばさんの膝に抱かれて、私が帰宅するのを待つように息を引き取った。着替えて抱いてやろうと着替え中に、おばさんの「今死んだ」という声がした。

平成25年

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